chiji's world peace radio

料理の模倣 思考の訓練 文鳥のモフ

ウクライナ ドゥージェ ジャークス

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ウクライナは遠すぎていまいち関心を持てない人は多いと思うけど、昨年3/11、チェルノブイリを知るウクライナの人々は、震災から丸2年のこの日、被災者のために追悼式を開いてくれました。「人間には翼がない。代わりに想像力があるから」(出典失念)

  Twitterで流れてきた素敵な情報に、少し疑問を感じた。その疑問とは「なぜ遠い国の、顔も知らない、どんな人達だか分からない日本人のために、追悼式をしてくれるんだろう」

 逆に日本でチェルノブイリ被災者のために、追悼式などをしたことがあったか?2年と長い時を経ているのにも関わらず、遠い国の事を考えてくれる。日本人だって、その日に黙祷しない人が多いのに。

 もちろん、ウクライナのすべての人が日本の事を考えていないと思うし、日本人でもちゃんと黙祷する人もたくさんいます。

 多分ウクライナの人達と日本人の大きな違いは、宗教への関心度の違いにあると思います。

 ボクは神社へ初詣に行っても、真剣にお願いをしたりしません。鳥居をくぐる時も、一礼をするのに恥ずかしさを感じたりします。お願いを真剣に出来ないのは「そんなのしても意味がない」と心の底で否定的に考えてるから。一礼を恥ずかしいと思うのは「神社というのは神の領域で、鳥居をくぐるのに一礼するのは、神の領域に土足で失礼します、という意味」を真に受けていないから。

 つまりボク達は「神様」という存在自体を信じられなくなっている。「信じてる」でもなく、「信じたい」でもなく「信じられない」

 ウクライナの人と日本人とは、神様はどうであれ、なにか抽象的な現象を信じるレベルが違うんですよね。あ、もちろん総合的に見てですが・・。

「人間には翼がない。代わりに想像力があるから」

  ボク達は、宗教での想像力の欠如を引き起こしているのか、代わりに情報があるから、宗教の必要性が薄れてきているのか。

 ウクライナの方が祈る事で、ネットを介してボク達に情報が入り、ボク等は感動する。まさに想像力と情報のコラボ!!

 とにかくウクライナの方々に感謝を。