運命の人
最近2ちゃんねるで、考えると恐くなるような記事を見かけた。
「今年交通事故で死ぬ4000人は今頃何をしてるんだろうか?」
1年前、2年前に交通事故で亡くなった人は、どちらも4000人弱。具体的には2012年は4411人で、2013年は4373人。
2011年から比べて2012年は200人減り、2012年から比べて2013年は38人減っている。13年連続で死者数は減っているそうだが、これがいきなり”0”にはならない。減ったとしても100人程度だと見ると、今年も4000人弱が交通事故で亡くなる計算になる。
記事の中でこんなコメントがあった。
”もう死ぬ人はノミネートされてるんだろうか”
ニュアンスを変えると「今年交通事故で死ぬ運命になっているのは誰か?」という感じになる。
運命を信じるか?という話題なんかをよく聞くけども、ボクは信じません。なぜなら、不確定要素が多すぎるからです。
運命は2つの行動パターンに分けて考えることが出来ると思います。それは「確定」と「気まぐれ」です。
「確定」は、自分の行動がパターンになってる場合です。朝起きたら絶対に牛乳を飲む、ここのコンビニで必ず弁当を買って帰る、などです。
「気まぐれ」は、その時の気分によって行動が変化する場合です。いつもは朝に牛乳を飲むんだけど、今日はコーヒーが飲みたい、毎日決まったコンビニで弁当を買ってるんだけど、たまには自分で作ってみるか、などです。
なので「この人と出会う運命だった」というのは、「この人と出会うことになっている」ということなので、それはお互いが決められた行動の中だけでの話。それに「気まぐれ」のような不確定要素が入ってくると、もう未来が決まってるうんぬんの話はまったくの無意味です。
でも、その不確定要素も運命的に見れば「確定」行動だ!と考える人もいそうですよね・・・。未来は誰にも分からないし「私には素敵な人と出会う運命になってるのよ!信じてるのよ!」と言って、なにもせずに寝てばかりいては、まぁ恐らく誰とも出会わないでしょう。
なので、「交通事故で死ぬ運命になっている人」は世の中にはおらず、この記事を読んで「交通事故に気をつけよう」と感じるくらいに気楽でいいと思います。
あ、もちろん運命信じたい人は信じてもいいです。ボクが言いたいのは、終わったことに関しては「運命」で片付けてもいいのですが、未来の事を都合よく「運命」にして、なにもしない事がダメなのです。
かーみさーまぁ〜♪