ネコの関心事
ブログ書くことないので、今年の1月に書いた日記を載せておきます。少し長いですが、時間があればぜひ!
ちょっと前の飲み会で、「家にいる猫は、外で自由に行動できる猫を羨ましがったりするのだろうか?」という話題が出ました。「外猫は、家でぬくぬくしている猫を羨ましがるのか?」と、友人が疑問に思っていたそうです。
恐らく、家猫は外猫の生活環境なんて全く知らないし、その逆も同じ。では、動物って考えたりするんでしょうかね?猫や鳥のいろんな表情を、ボクらは「なにか考えてるな」と色眼鏡で見てしまっていますが、本当に人と同じように考えるんでしょうか?
ボクらが考える時には言葉を使います。例えば、仕事について考える時に「上司」「部下」「給料」とたくさんの言葉を使って考える。でも動物やペットは言葉をもたないてすよね?自分達のエサが、飼い主さんが働いて稼いだお金で、コーナンやペットショップなどで購入して運ばれてくるってことを知らないです。貨幣という概念も、仕事をしてお金をもらうという仕組みも知らない。
飼い主さんは今どこにいるのか?とか、この前食べたエサと少し違う、なぜ?とか、言葉や概念をもたない彼らは考えられないと思います。
じゃあ家猫って、なにを思って生きてるのだろ?と興味が湧いてきました。家猫の世界観はどうなってるのかが、知りたい。
そこで、評価経済でもでてきた「その時代の関心事」という枠で考えて見ることにします。
例えば狩猟時代に生きていた人の関心事は、「その日の食事」「育児」とか「狩りの仕方」子供なら「遊ぶ」とかもあるかもしれません。
現代人の関心事は「仕事」「趣味」「人間関係」「恋愛」などたくさんあります。
同じように、家猫でも考えてみる。「飼い主」「飯」「ちょっと楽しい事」「寝る」他には~、「かつおぶし!!」………すいません、猫飼ったことないので、これ以上でてきませんでしたw
このように考えると、この子達はどんな事に関心があるのかな?ということが分かるような気がします。
友人の疑問に対する、今考えることが出来るとりあえずの答えとして「そんなこと思ったりしないし、考えもしない」です。
最後に、「考察」って言葉があります。読んで字のごとく「考えて察する」という意味の言葉です。
この日記で、言葉を持たない動物は考えることができない、と書きました。なので、考察はできません。
では、なぜ大型のインコが自ら扉を開けれるようになったり、犬がお手を覚えたり、ゴリラやチンパンジーが、石を使って木の実を食べれるようになるのか?
それは考えて察するんじゃなくて、感じて察しているんだと思います。なにかを感じて、即行動に移す。すると目の前で起こった現象にまたなにかを感じ、また同じことを繰り返す。繰り返しているうちに、違うパターンも見えてくる。その違うパターンをやってみる。それが習慣になる。他の仲間達も同じようにマネをしだす。
といった感じで、「感じて察っする」という事を、動物たちはやっているのだと思います。